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さよなら宵待草
バタバタしていてアップするのが遅くなってしまいましたが、宵待草について。大好きな喫茶店宵待草が、8月末をもって閉店しました。本当はもっと足を運ぼうと思っていたのに、結局8月中は調子が悪く閉店間際に一度駆け込めたきりで残念。だけど最後にどうしても一度見ておきたかったから、その願いだけはなんとか叶ってよかったです。

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出かけたのは、皆既月食が予定されていた月末の火曜日。友人と6時に上野で待ち合わせて吉祥寺へ。考えてみると宵待草はいつも昼間か午后に出かけていたので、夜は初めてでした。宵闇のなかにぼうっと浮かび上がる宵待草のまろやかな光がとても美しく、この光景がもう二度と見られないのが無性に哀しくなりました。

扉をぎいっと開けて中に入ると、甘いケーキとハーブの匂いが漂います。目的だったカレーは残念ながら終了していたので、軽食とケーキ、さらにハーブティーを頼みました。窓側のテーブルに座り、井の頭公園から聴こえてくる虫の聲に耳を澄ませつつおしゃべり。名残惜しい時間を過ごすかのようにたくさんの人がここを訪れ、テーブルは満席でした。関東地方で月食は見られないということは天気予報では知っていたものの、途中から予想外に激しい雨と雷に見舞われたのにはびっくり。少女の夢を具現化した如くの宵待草ででハーブティーを飲みつつ、外の激しい雨と雷を眺めるというのは、ちょっとはないほどにドラマティックで浪漫でした。最後の最後で、ものすごい体験をしてしまったかも。

もっと頻繁に通えばよかった。そのことを今更悔やんでも仕方がないのですが、どうしてもそうは思わずにはいられません。吉祥寺というのは自分の家から遠く感じる場所で、西荻で降りることはあっても吉祥寺までは滅多に足を伸ばしませんでした。宵待草はずっとあるものだと思っていたから、どこかで安心していたのかもしれません。いつ行ってもある、いつまでも変わらない。なぜそんな錯覚が生じていたのか、自分でもよくわかりません。永遠なものなんて絶対ないということを改めて思い知らされた今回の出来事でした。それでも、最後にこうして時間を過ごすことができたのはよかったです。忘れようにも忘れられない、今でも頭を浸食されるくらい自分に根深い影響を与えたある空間が、知らぬ間に消滅してしまったあの途方もない喪失感。札幌ファクトリーの天体工場のような想いをすることはなく、最後に時間を過ごしてしっかり記憶に焼き付けることができたので、淋しくはあるけれど私は満足しています。そして宵待草がたくさんの人に愛されている空間だと改めて確認することができたのもうれしかったです。

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私が出かけた日は二階のギャラリーが開放されていたようですが、ここを見そびれてしまったのが唯一の心残り。写真だけは撮りました。上にどうやって行ったらよいのかわからずに声をかけそびれた自分が今となっては憎い。

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27年間の歴史を閉じた宵待草。この建物は壊されることはなく、今後はギャラリーとして利用されるということを知ってうれしくなりました。喫茶はもうないけれど、この場所が完全になくなってしまうわけではないのですね。夢の跡地ではあるけれど、この空間が残されていれば、まだ当時の面影を偲んで懐かしい気持ちに浸ることができるような気がします。

宵待草という喫茶店は、嶽本野ばらさんの『カフェー小品集』で知ったという人が多いかもしれません。この話しは最後にとっておこうと前回のエントリーを書いた時はあえて触れませんでしたが、ちょうどタイミングよくというかなんというか大麻で逮捕というニュースが飛び込んできたのは予想外でした、とほほ(実は知ったのは合宿中。相方がわざわざ携帯にメールをしてきて知りました)。でもまぁ、正直に言って全然驚かなかったです。むしろ嶽本という名前が本名だったことの方に驚きました。絶対ペンネームだと思っていたし。という自分の感想はともかくとして、正直ファンとは言い難いのですが好きな作品もあるだけに残念だなぁとは思います。私が最初に読んだのは2000年頃、まだ『それいぬ』が国書刊行会版しかなく、というよりむしろ野ばら本がまだ一冊しか出ていなかった頃。『それいぬ』は国書の本が好きです。薄いピンクでデザインが乙女だし、帯も戸川純だし。という話しはともかく、これを読み「面白い」と思って次の『ミシン』でめちゃめちゃはまり、でも次の『鱗姫』で「やっぱりダメだ…」とさくっと見切ったというアレな人ではありましたが、そうは言いつつ『下妻物語』や『カフェー小品集』などは非常に好きですし今でも手元に本を残しています。そういうわけで作品に対する評価はかなりバラつきはありますが、乙女的なるもの、そしてロリータにかくも関心が集まるという現在の状況の立役者(これは良くも悪くもということですけど)の一人であることは間違いないので、そういう意味では繰り返しになりますがやっぱり残念ですねぇ。確か7月だったかにジュンク堂で行われた樋口ヒロユキさんと高原英理さんのゴシック・ロリータのトークショーを聴きに行ったのですが、その時に樋口さんがこういう現在のムーブメントの土壌となったのは関西ではないか、そしてその中でも特に野ばらさんじゃないかというようなことをおっしゃっていて(言葉は正確ではないですがだいたいこんなニュアンス)、私はその指摘が面白くてなるほどと思って改めて野ばらさんについて考えようと思っていた矢先でした。このトークショー全体に対しては私は思うことがなかったわけではないですが、実践の立場から発言されていて特に関西事情に詳しい樋口さんのお話は私の知らない視点を提示されていて興味深かったです(逆に高原さんはちょっと…。。)。なんだか話しが長くなったうえに宵待草からズレていってますが、思い入れはないしショックという気持ちも全くないけれど、とにかく残念なニュースではありました。

もう宵待草という場所はありません。この場所が存在していたことを、少しでも自分の記憶の中に留めておきたくて、こうして長いエントリーを書きました。この想いを共有できる人は、大多数ではないにせよ少なからずは存在していることでしょう。宵待草という言葉は、呪文のようにあの甘い記憶を呼び覚ましてくれる、そんな魔法の言葉として今は私の中に存在しているのです。

(余談:現在Fairy wishの新作コーナーで黒色すみれのSachiさんがモデルを務めていらっしゃいますが、ロケ地が宵待草です。Sachiさんと宵待草はぴったりの雰囲気。Fairy wishの新作の生成色のブラウスが気になっています。)
by yuriha_ephemera | 2007-09-06 14:17 | カフェ・食べ物
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