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クシー君よ永遠に
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かなり重めな日記です。昨日友人の日記で漫画家・イラストレーターの鴨沢祐仁さんが亡くなったことを知り、大変なショックを受けています。鴨沢さんの名前がわからなくても、「クシー君」の名前でピンとくる方もいるのではないでしょうか。「クシー君の夜の散歩」をはじめ、クシー君とウサギのレプス君は私にとって「少年的」なるものの一つの理想的な具現でありました。作品全体を貫く世界観をはじめ、コマに丁寧に描き込まれた一つ一つのモノすべてが愛おしくて、本を開くたびにキラキラと広がるクシー君の夜の世界は私にとって憬れでありました。少女の空想が作り出した少年世界も大好きですが、純粋少年によって生み出された、痛いまでに透明でプラスチックのような世界は少年的なものを愛する者にとって非常に希有な存在でありました。

鴨沢さんが亡くなったと知って慌ててmixiのコミュを覗きに行って、死を巡る状況がだんだんとわかってくるにつれて、悲しさが余計に募ってきました。私の場合、作品と作者への関心は別物として存在しています。だから、作品が好きだからこそ作者に対して関心が行く場合と、作品は作品として閉じたものとして鑑賞し、作者に対して関心が向かない場合の両方のパターンがあります。作者に関心がいかないからといって愛情が低いわけではなく、ただ作品そのものを鑑賞したり愛でたりする過程に作者本人のパーソナリティ云々はあまり関係ないというか…。上手くいえないのですけど、つまり作者についてほとんど知らなくてもその作品や世界を愛しているということは多々あるということです。そういうわけで鴨沢さんのオフィシャルサイトがあることはうっすらとながらは知っていましたが、アクセスをしたことはほとんどなく、だから鴨沢さんが鬱を患っていたことも、最近の状況も全く知りませんでした。今更ながら日記を読み、なんともいたたまれないような、つらい気持ちになっています。

以前散歩会の時にshigeyukiさんが(散歩会については後日改めて日記で記します)「稲垣足穂はセレクトショップ、もしくはエッセンス的な存在ではないか」というようなことおっしゃっていましたが、私もまさに然りと思っています。私自身大変足穂の影響を受けている人間ですが、実は足穂の作品直接の影響よりは、足穂に影響を受けた人たちの創作の方からよりインスピレーションを受けているような気がします。つまりは誰かの解釈を経た足穂のエッセンス、足穂的なものから広がるイマジネーションを受け取っているのではないか。そういう意味では長野まゆみさんやあがた森魚さん、そして言うまでもなく鴨沢祐仁さんが私に足穂のエッセンスを教えてくれた方々でした。

私の手元には鴨沢さんの作品集ばかりではなく、寮美千子さんの『星兎』(パロル舎)という本があります。この本の装画そして本文に挿入されているイラストを担当されているのが鴨沢さんであり、寮さんそして鴨沢さん両者ともに好きな私にとっては非常に嬉しいコラボレーションでした。この本はファンタジックな可愛らしさがありつつも切なく胸を抉るストーリーなのですが、鴨沢さんの件も相俟って表紙を見るたびに余計切なさが募る一冊となりそうです。

以上はすべての著作を網羅しているわけでもない、数冊の本を手元にひっそりと置いている程度のファンの戯言です。地球の重力から解き放たれた鴨沢さんは、今頃遠い銀河の彼方からハーフムーンを眺めつつペパーミントのカクテルを飲んでおられるのかもしれません。ご冥福をお祈りします。

写真はこの内容とは全く関係ない、札幌の十一月の写真です。少年ではない、そして少女ですらない私は、少年的なるものへの限りない憧憬を胸に抱きつつ、今日も図太くたくましくこの現実世界を渡り歩いていくのです。
by yuriha_ephemera | 2008-01-21 20:25 | 雑記
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